フラット
「かわいそう」と思うこととか、同情とか、そういうのは、相手に失礼だと思っていた。
そう思う自分にも、嫌な気持ちがしてた。
でもね、そうじゃないんじゃないか、って、最近思うのです。
前にも話しましたが、私は今、障害のある子どたちと接する機会があります。
最初は、戸惑いました。そういった経験などなかったからです。
どうしたらいいのか迷いました。立ちつくしてしまい、頭が回らず、何もできない日々が続きました。
そんな時、私なりに思いました。
「聞けばいいのだ」と。
どうしたらいいのか?どうしてほしいのか?どうすれば動きやすいのか?伝えやすいのか?
聞いても答えられない子もいます。
そんなときは、周りのスタッフなどに聞いてみます。
なんでもそうなのかもしれないけど、やっぱり相手を知ること、知ろうとすることが、大切なことのような気がします。
それが同情であろうとなんだろうと、さらに言えば、障害があろうとなかろうと、子どもだろと大人だろうと、男だろと女だろうと。
相手を知ろうとすることから、キッカケが掴める気がします。
お互いが少しでも知り合えることで、当たり前の社会になれば一番いいよね。
フラットな社会なら、なんて良いんだろう。
だけど、いろんな思いで生きている人たちがたくさんいるから、フラットなんて、不可能だけど。
せめて私の身近から、知ってみるのもいいと思う。
子どもの頃から、そんな教育を受けていたら、もしかしたら何か違うのかもしれないな。
キッカケは何でも良い。入口を見つけたら、踏み込んでみるのも、良いかもしれない。
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